戸澤惟顕(とざわこれあき)/戸澤祖州(そしゅう) 宝永7年〜安永2年1月9日(1710-1773)
弘前藩儒臣。字、敬之。通称、半右衛門・文之丞。号、祖州・湯谷・休庵・◇晦館。弘前藩第5代藩主津軽信寿の落胤。母、小村氏は、津軽信寿の寵愛をうけ敬之を産み、のち幕臣戸澤新左衛門に嫁す。青森出身。13歳で文武に励み、弓術を得意とする。津軽侯侍講。のち昌平坂学問所で周易を講義する。二本松藩5代藩主丹羽高寛(にわたかひろ:1707-1769)に招かれるが固辞し、江戸に帰り池之端に住み私塾を開く。のち、筑波山麓に隠遁するも江戸の門人が迎えに行き湯島に住まわせる。のち、津軽藩に帰り明和4年(1767)本知100石・役料50俵をもって、津軽信明(のちの8代藩主)に講義をする。程朱学派。64歳。
※ 周易:古代中国の三易の一つで周代に生まれた易。
墓は、宗林寺墓地(谷中3-10-22)。本堂脇の水場の横の街灯のある通路を行き、突き当り手前、右側4基目。「土田怒庵」墓の先2基目。正面「嗚呼祖州先生之墓」。「本寿院利貞日乗居士」。