塚田秀鏡(つかだしゅうきょう)    嘉永元年〜大正7年12月29日(1848-1918)

    明治大正期の彫金界の巨匠。父、上州館林秋元藩の藩士で和泉流鞘巻の大家(彫金家)土肥義周(よしちか)(二男)。東京神田出身。養父、鐸師塚田直鏡(つかだなおかね)。幕末に近世金工界に賛嘆たる足跡を遺した加納夏雄に師事。絵画を柴田是真(しばたぜしん)に学ぶ。26歳で天皇太刀の彫刻をする。明治14年(1881)第2回勧業博に鉄地に蟹を彫って出品、アメリカのセントルイス博覧会で金賞を受賞。明治23年(1890)に皇室による美術作家の保護と制作の奨励を目的として制定された「帝室技芸員」の工芸分野の一人に選ばれている。置物、額が有名。湯島の自宅で没する。71歳。

墓は、谷中霊園甲9号26側。南北の通路に面する。正面「帝室技芸員従七位塚田秀鏡墓」。