津山宗伯(つやまそうはく)     宝暦4年〜天保10年3月14日(1754-1839) ・・・宝暦5年説あり)

    江戸後期の医家・福山藩医。名、厚伯のち義篤。字、宗伯。上総市原郡会津村出身。天明のころ鍼灸をもって福山侯に仕える。幕府の医官山崎宗運に師事し、”宗”の一文字を贈られ宗伯と改める。寛政11年(1799)10石取り侍医となる(のち20石になる)。藩医伊澤榛軒(しんけん)は第6代福山藩主阿部正寧(まさやす:1809-1870)に従い福山に往くこととなり、雨富良碩(あまとみりやうせき)・津山宗伯が同行した。86歳。

墓は、加納院墓地(谷中5-8-5)。本堂横通路をまっすぐに行き、30mほどの左側。槇の木のところ。「積善院惠岳義篤居士」。