阿部正寧(あべまさやす)・6代藩主    文化6年10月24日〜明治3年7月1日(1809-1870)

    備後福山藩6代藩主。父、5代藩主阿部正精(3男)。江戸藩邸で生まれる。文政9年(1826)兄の病弱、早世により、父正精の死去に伴い18歳で備後福山藩6代藩主となる。23歳で奏者番となり、父と同じ道を歩みはじめたが、この時代は、文化文政期を経過し、政治的に無気力な状態に陥り、洪水・干ばつが続き大凶作に見舞われ、一揆の暴発を防ぐのみで、積極的な施策はなかった。病弱で天保7年(1836)隠居し、弟の阿部正弘に家督を譲った。隠居後は不争斎と号して文筆を親しむ。61歳。

墓地は、西福寺(台東区浅草)に葬られ、のち寛永寺谷中墓地に改葬。「常徳院殿覚誉主善元良大居士」。