内村直義(うちむらなおよし) 天保12年〜明治10年3月15日(1841-1877)
会津藩士。父、芹沢寛治(二男)。祐筆内村三蔵の養嗣子。通称、砂次郎。7代内村氏を継ぐ。戊辰戦争後に越後高田で謹慎。東京権区長のとき東京府の巡査募集に応じ、累進して二等中警部となる。西南の役で警視庁一番隊長として出征、高瀬から田原坂を攻撃中被弾して戦死。38歳。
墓は、谷中霊園 乙4号2側(高台側)。正面「内村家之墓」。熊本県玉名郡玉東町字蘇浦の官軍墓地にあったものを改葬合祀したもの。「精忠院勇誉鉄心直義居士」。額題「内村君碑」は、越後高田時代の学問の師南摩綱紀の撰文で戦友騎西安遷・戸田重之ら80人が拠出して建てたもの。