植松抱民(うえまつほうみん)    弘化2年12月24日〜明治32年6月15日(1845-1899)

    蒔絵師。通称、籐吉のと弥吉。父、植松弥八。東京四谷荒木町出身。蒔絵を上田喜三郎(号、藤屋)のち明斎梶山清兵衛に師事し、一家をなす。門下に保井抱中・梶豊動・舟橋舟a・関口抱美らがいる。55歳。

植松包美(うえまつほうび)     明治5年11月1日〜昭和8年11月16日(1872-1933)

     蒔絵師。旧名、関口弥太郎。東京日本橋本石町出身。植松抱民の養子。蒔絵は抱民に学び、図案を岸光景に学ぶ。古典の蒔絵に長けた。光悦風をまね、または為恭風を好み、その風格を帯びた作品が多い。かつて鶴岡八幡宮の舊藏平政子所用の「籬菊蒔絵手箱」を修復したことがある。昭和5年(1930)帝展推薦となり、翌年には帝展審査員となる。62歳。

墓は、谷中霊園 甲8号17側。花柳寿童墓前。木の下。正面「植松氏之墓」。墓誌なし。抱民:「善行院抱民日清居士」。包美:「開悟院包美日安居士」。