浦ノ濱栄治郎(うらのはまえいじろう)・浦風林右衛門     明治22年2月20日〜昭和20年10月31日(1889-1945)

    関取。本名、滑川丑五郎(なめりかわ うしごろう)、旧姓は丸山丑五郎。新潟県三島郡(現在の小千谷市)出身。明治39年(1906)浦風部屋に入門し、浦ノ濱 栄治郎の名で5月場所に序の口で初土俵。大正2年(1913)2月場所で新入幕。「浦さま」と呼ばれ人気があった。大正4年(1915)6月場所で関脇。大正6年(1917)先代が急逝し、二枚鑑札で年寄10代目浦風林右エ門(うらかぜ りんえもん)を襲名。大正8年(1919)1月場所から小松山栄治郎に改名。大正11年(1922)引退。昭和5年(1930)年寄廃業。昭和8年(1933)赤坂に天麩羅の料亭「冨貴」を開店。幕内成績、58勝70敗53休2分7預、19場所、最高位関脇。

※ 10代目: 某資料には9代目としてあるが、9代目は他にある

墓は、谷中霊園 甲14号右7側。正面「滑川家之墓」。墓誌は大正元年が最新であり、記載がないが、彼岸には花が供えられている。ここに葬られているというNET情報がある。