宇山道朔(うやまどうさく)    天保7年11月25日〜明治38年3月19日(1836-1905)

    医者。祖父、11代将軍徳川家斉の侍医宇山隆卓。父、シーボルトの門下生宇山道卓。父に医学を教えられたのち長崎に出て蘭学と医学を学ぶ。帰国後江戸神田須田町で開業。慶応年間に佐久間町に移転。明治に入り木脇良・桜井郁次郎らに西洋医学を学ぶ。また、東條琴台に漢学を学び、剣を千葉周作に仕込まれる。明治12年(1879)3月高松凌雲らの同愛社病院(赤十字病院)創立に参画し、終生同病院で診療をした。

墓は、谷中霊園 乙7号甲1側。正面「宇山氏墓」。墓誌なし。建立は息子(二男)の宇山繁(うやましげる:1872-1938)で大正3年9月。「杏林殿院和然道朔居士」。宇山繁も合祀と思われる。