若柳寿童(わかやぎじゅどう)・初代    弘化2年2月3日〜大正6年7月22日(1845-1917)

    日本舞踊若柳流創始者。本名、若林勇吉。江戸吉原出身。13歳で花柳流を創始者初世花柳寿輔の門に入る。15歳で花柳芳松を名乗る。明治元年(1868)から花柳界の踊りの師匠として活躍。明治26年(1893)に破門され、明治28年(1895)に若柳流を創流し若柳吉松と改名した。若柳吉松は、さらに明治36年(1903)に若柳寿童と改名した。子の市太郎に継ぐ意思がなく、高弟若柳吉蔵に家元を継がせた。

 
墓は、谷中霊園甲8号18側。浅草妙音寺にあった墓が戦災で破壊されたので、寿童37回忌に谷中霊園に再建した。正面「初代家元/若柳寿童之墓」。「園林院寿童日宝居士」。