渡辺華石(わたなべかせき)    嘉永5年〜昭和5年(1852-1930)

    日本画家・渡辺崋山・椿椿山の絵の鑑定家。本名、小川静雄。字、規道。別号、棲碧山房主人・寄春草堂等、父、旧備州藩士小川一清(三男)。名古屋出身。明治10年頃、渥美郡役所書記。張月樵の子月載・森高雅等に師事する。のち渡辺小華に師事、南画を学ぶ。小華が東京に移ると、華石も東京に出る。のち、養子となる。明治38年(1905)日本南宗画会創立。唐宋の画法に通じ、崋山に関し研究した。79歳。2代目渡辺華石は、小室翠雲の門下。

墓は、感応寺墓地(谷中6-2-4)。本堂脇を行き、本堂裏角付近。正面「小川家之墓」。「真如院華石日静居士」。墓誌なし。