渡瀬淳子(わたせじゅんこ)     明治27年12月15日〜昭和5年1月2日(1894-1930)・・・1896説あり

    芸術座女優。大阪松竹養成所の2期生。島村抱月の芸術座に入団。のちに沢田正二郎らとともに脱退。大正2年(1913)沢田正二郎と結婚し、正二郎の親友ら11人で「新国劇」を結成。女優として活躍。大正13年(1924)離婚。その後は、新劇で活躍。没年間際には、銀座裏のジュンバーのマダムをしていた。37歳。

※ 明治45年(1912)3月セイレーンとオデュッセウスの船を表紙に画いた雑誌「シレエネ」が発行されたが、発行人の青木精一郎と共に挿画を描いている。また、小説家宇野浩二の小説「恋愛合戦」のモデルといわれている。

墓は、谷中霊園 甲6号13側。正面「渡瀬淳子之墓」。没年日の記載なし。