山田数馬(やまだかずま)     文政11年8月10日〜明治10年8月20日(1827-1877)

    忍藩3代藩主松平忠国時の家老・大参事・埼玉県士族。父、山田半右衛門。江戸馬場先忍藩邸に生まれる。33歳のときから松平忠国の執政を9年勤める。大政奉還後、忍藩大参事を廃藩置県まで3年勤める。以後、隠居して敢えて交接を好まず読書自楽に過ごす。東京根津西須加街13番地にて没する。49歳。

※ 山田半右衛門:桑名藩筆頭家老で、松平忠和と松平忠翼に仕える。ある資料には、「若いときに松平家中に入った」とあり、また、数馬の碑文の中に、「祖父城主忠国公」という部分があるのは、撰文した松平忠敬からみての"祖父"。家柄は良く家老の中で最も高給取りで、剛腕だったが、放蕩でひんしゅくを買い一時失脚する。

墓は、天眼寺墓地(谷中1-2-14)。墓地入り口より約10m、左側。篆額「木圭院瑞林玄守居士」。