山岡直記(やまおかなおき) 元治2年2月2日〜昭和2年3月4日(1865-1927)
式部官・通訳官・子爵。父、山岡鉄舟(長男)。明治17年(1884)命により清国に留学、上海フランス学校で学ぶ。明治21年(1888)帰国後襲爵・式部官。日清戦争では通訳官として従軍。従三位勲六等。63歳。
山岡松子(やまおかまつこ) 文久2年1月〜昭和19年11月21日1(1862-1944)
著述家?。父、山岡鉄舟(長女)。山岡直記の姉。鉄舟似で、娘時代には自ら竹刀をもって道場に通い山岡無刀流の修行をする。写真師と結婚したが死別する。その後は、筑前琵琶などを弾いて暮した。東京日日新聞社会部の「戊辰物語」を編著。これでは、語り部として50年前の世代・武家の生活・山岡無刀流道場での稽古などについて語っている。著書:「戊辰物語」。83歳。
山岡鉄雄(やまおかてつお) 明治30年2月19日〜昭和18年5月24日(1897-1943)
子爵。山岡鉄舟の孫(長男子爵直記の子)。昭和2年(1927)襲爵。昭和18年(1943)の没後は、女戸主となり爵位継承権喪失。正五位。47歳。
墓は、全生庵墓地(谷中5-4-7)。山岡鉄舟墓となり。正面「山岡家累世之墓」。直記:「大観院殿蓉湖正直大居士」。松子:「観心院殿香谷貞松大姉」。鉄雄:「高陽院殿鉄僊義門大居士」。