山勢検校(やませけんぎょう)    寛政3年〜安政6年8月5日(1791-1859)

    江戸中後期の山田流筝曲家。名、松風一。越後出身。はじめ越後白勢検校和合一のもとで修業し文政2年(1819)検校となる。糸魚川で覚一という盲人に学ぶが、21歳で江戸の山田検校に入門。山勢家初代。”山勢”の名は、名跡となり”山登”・山木”とともに山田検校直門三家の一つとなる。山田検校や浅岡検校に平曲を学び、平曲家としても活躍。天保14年(1843)江戸惣禄となる。門下に山喜多(前姓山千代)検校翠風一・山谷検校清風一などがいる。また、山木派の山多喜検校栄松一も山勢に師事したといわれる。69歳。作曲:「常盤の栄」、「月の鏡」。

墓は、大円寺墓地(谷中3-1-2)。「お仙の碑」の後を入り、左側。正面「蓮光院殿准三老前検校遵理日旋大居士/蓮照院殿妙旋日光大姉」。墓碑は、昭和11年(1936)に山勢岩三により再建される。