山崎直胤(やまざきなおたね)    嘉永6年〜大正7年2月4日(1853-1918)

    大蔵省大書記官・山梨県三重県などの知事・錦鶏間祗侯。父、山崎直高(長男)。豊前中津出身。国内でフランス語を修めたのち、明治3年(1870)工部留学生としてフランスに渡る。帰国後、太政官出仕。のち参事院法制局等に出仕。伊藤博文に随行し欧州に出張。内務省県治局創設時に局長となる。のち、宮内省調度頭。明治29年(1896)退官し、錦鶏間祗侯。従三位勲一等。著書:「勤農説」、「租税説」。66歳。子に文学博士で早稲田大学教授の山崎直三がいる。

墓は、谷中霊園 乙11号13側。JR線路側を向く。正面「山崎直胤之墓」。