柳川清助(やながわきよすけ) ?〜明治7年8月28日(?-1874)
我が国初の民営東京火災保険会社を設立。明治11年(1787)ドイツ人パウル マイエット博士が、日本のような災害の多い国では国営強制火災保険制度が必要であると論じた。この論説に賛同した時の大蔵卿大隈重信は、東京府に命じて家屋火災保険国営法案を起草して参事院に上申させたが、国営の可否で内務省の反対に遭い挫折した。その計画書類を後に発見した柳川清助・東京府知事松田道之未亡人・波鶴およびその実兄旧鳥取藩家老鵜殿長等と図り、明治21年(1888)本邦初の民営(有限会社)東京火災保険会社を設立。なお、明治26年(1893)武井守正と安田善次郎が帝国海上保険(株)を設立した。
墓は、谷中霊園 甲9号9側。正面「本邦火災保険鼻祖墓」。