柳田直平(やなぎだなおひら)     嘉永2年〜昭和7年12月7日(1849-1932)

    大審院判事。信州飯田出身。父、飯田藩槍術師安藤辰武(二男)。柳田家に養子となる。司法官を経て明治27年(1894-1904)大審院判事。明治34年(1901)5月民俗学者柳田国男を養子とする。明治37年(1904)4月四女孝(17歳)と国男を結婚させる。実弟に陸軍大将安東貞美、弟には中学校教師となる安東武雄がいる。妻、琴子。長女は、矢田部良吉の後妻順(1869-1959)。正四位勲三等。84歳。

墓は、谷中霊園 甲6号11側。正面「柳田直平/柳田琴子 墓」。「誠光院法誉感月直道居士」。