矢田部卿雲(やたべけいうん) 文政2年〜安政4年7月10日(1819-1857)
蘭学者。賀美郡勅使河原村(埼玉上里町)出身。父、荒川氏。名、欽・信明・信任。号、卿雲。先祖は矢田・荒井と名乗っていたが、矢田部姓に復帰。江戸で坪井信道に師事し日習堂で蘭学・蘭方医学を学ぶ。伊豆韮山代官の江川太郎左衛門の家臣となり蘭書翻訳方となり、オランダの産科学者サロモンの「産科の指針」を翻訳、弘化2年(1845)に完成し「撒羅満氏産論抄書」とした。当該書は、当時としては最も詳しい西洋産科書で、我が国の産科に大きく貢献した。安政元年(1854)長崎伝習所にて通訳を務めた。子に植物学者の矢田部良吉。