吉井茂則(よしいしげのり) 安政4年〜昭和5年10月20日(1857-1930)
建築設計者。父、吉井茂基(二男)。高知県士族大阪府権大参事吉井正澄の養子。正四位勲三等。明治14年(1881)工学博士。明治23年(1890)仮議事堂をドイツ人建築家アドルフ・ステヒミューラーと設計し竣工。明治35年(1902)中京(なかぎょう)郵便局旧京都郵便電信局を設計し竣工。 74歳。妻は、幕末期の海軍人で、五稜郭で投降し、東京で獄死した松岡磐吉の娘。息子が松岡家を相続。
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墓は、谷中霊園 甲3号7側。正面「正四位勲三等吉井茂則之墓」。