公家阿野家の27代当主・子爵・公卿。父、阿野実典(さねすけ)。号、翠竹。天保14年(1843)侍従。嘉永3年(1850)左少将。安政5年(1858)左中子。文久2年(1862)11月4日参議左中将。元治元年(1864)国事掛。明治元年(1868)時は、正三位・権中納言・行政官弁事・参与。明治2年(1869)上局副議長・集議員次官。明治3年(1870)留守次官兼京都府権知事・宮内少輔。明治4年(1871)宮内大丞。明治8年(1875)8月致士。51歳。二男は興福寺東北院住職の北大路季敏。正室は20代坊城俊克の娘。
阿野家(あのけ)は、羽林家の家格を持つ公家。藤原北家閑院流の滋野井庶流。藤原成親の子で滋野井実国の養子公佐を祖とする。のち、23世を経て公誠に至る。百人一首の阿野禅定子孫。
※H.N.もへい様より「ただ阿野家は現在谷中に墓碑のある季房までで後継者がいないので絶家となっています。」という情報が寄せられている。