有馬道純(ありまみちずみ/みちよし)    天保8年9月9日〜明治36年5月24日(1837-1903)

    丸岡藩主(福井県)。有馬家8代藩主(最後)。丸岡城主の期間は、安政2年〜明治2年(1855-1869)。通称、知四郎・佐兵衛。父、播磨山崎藩主本多忠鄰(次男)。7代藩主有馬温純の養子。寺社奉行・若年寄・外国掛などを経て文久3年(1863)年に老中就任。常盤橋門内に屋敷を賜り歴代最高の従四位下となる。第二次長州出兵では、慶応2年(1866)3月、藩兵を率い、摂津兵庫に出向いて警備に当たった。将軍徳川家茂の再上洛に随行。のち、老中を辞め京都守護にあたる。明治2年(1869)の版籍奉還により丸岡藩知事となるが明治4年(1871)の廃藩置県で藩知事を免じられ東京に居を移す。有馬道純は平章館にあった蔵書を明治6年(1873)に創立となった平章小学校に寄贈し、図書館とする。子爵。

墓は、谷中霊園甲3号1側。さくら通りより30m入る。福地源一郎墓前。