セリギイ    明治4年6月16日〜昭和20年8月10日(1871-1945)

    東方正教2代目大主教。本名、セリギイ・チホーミロフ。サンクトペテルスブルグ神科大学学長を務めた後、明治41年(1908)来日。就任中には大正6年(1917)のロシア革命によりロシア正教会との連絡が中断したり、大正12年(1923)の関東大震災で東京の大聖堂が崩壊するなどの事件があった。昭和4年(1929)東京復活大聖堂を復興した。昭和15年(1940)以降、15年戦争下で特高警察の監視・干渉があり、国家権力の強要によりセリギイ府主教は引退を強いられ、ニコライ小野帰一主教が主管者となった。セリギイ府主教は、教会からの支援により生計をたてていたが、戦時中であり教会も困窮しており支援が滞ることもあった。スパイ容疑で特別高等警察に逮捕され、数ヶ月投獄され、拷問や厳しい獄中生活により昭和20年(1945)8月終戦数日前に殉教永眠した。

墓は、谷中霊園 乙2号新1側。ニコライ墓に並ぶ。