ニコライ カサーツキン    天保7年〜明治45年2月16日(1836-1912)

   ロシア修道士。本名、イヴン ドミトロヴィチ カサーツキン。父、補祭デイミトリ カサトキン。ロシア スモレンスク出身。ゴロヴィニーンの「日本幽因記」を読んで日本宣教を思い立ち、修道士としてニコライ・カサーツキンと改名して函館の領事館付き司祭として文久元年(1861)に来日。日本におけるギリシア正教会布教計画を樹立。沢辺琢磨らを教化。明治2年(1869)布教計画準備のため一時帰国。明治5年(1872)東京に出て築地港町に居を定めて明治8年(1875)神田駿河台でロシア語を教えながら伝道を開始した。大聖堂の建築の基金を得るため一旦明治12年(1879)に帰国し、主教に任ぜられ再び明治13年(1880)に来日して明治24年(1891)に聖堂(ニコライ堂)を東京駿河台に建てた。明治37年(1904-1905)日露戦争時には、国内のロシアの捕虜の慰安に活躍。当時、日本においては比較的国際法が守られ、虐待などなく扱われた。明治39年(1906)に大主教となる。没後、昭和45年(1970)4月、ロシア傘下の教会から、日本自治独立正教会(日本ハリストス正教会教団)となり、その功績が広く世界に認められ、日本最初の聖人として列聖された。76歳。歿時には、明治天皇より生花が下賜された。著書:「大主教ニコライ説教講和集」。

墓は、谷中霊園乙2号新11側。フェンスで囲まれている。2代セリギイ墓、3代小野帰一墓も傍にある。
※ 昭和41年(1966)聖人に列聖されると決まったとき、聖人記念館を建てることになり、遺品が必要になったが、ニコライ堂は震災で焼けたために遺品の一つもなく、お墓の中から七宝焼のマリア像・宝冠・首飾りなどを取り出し、聖人記念館に収蔵したという。