伊達宗陳(だてむねのぶ) 万延元年12月16日〜大正12年2月7日(1860-1923)
宇和島伊達家10代当主・侯爵・貴族院議員・宮中顧問官。父、宇和島藩第9代(最後)藩主で伊達宗城の弟の伊達宗コ(むねえ)(長男)。明治19年(1886)イギリスに留学。帰国後、式部官明治38年(1905)襲封し、宮内省狩猟官。のち、貴族院議員となり勅任狩猟官に進んだが、辞して宮中顧問官となる。藩祖秀宗入国三百年(大正3年)に際し「鶴鳴餘韻」(秀宗・村候・宗城の功績を中心に3巻の書のまとめたもの)を著わす。先室の納子(のりこ:?-1896)は、旧築後久留米藩主で伯爵の有馬頼萬の妹。後室の孝子(1874-1960)は侯爵徳川茂承(とくがわもちつぐ:1844-1906)の二女で、侯爵徳川頼倫の養妹。また、北白川宮大妃富子殿下はその令姉に当たる。宗陳は、没して子なく、弟の紀隆3男伊達宗彰が継ぐ。従二位勲三等。64歳。
※ 宗城は、宗紀の養子。宗徳は、宗紀の実子。宗陳は、宗徳の実子。宗徳が宗城の養子となったからややこしい。形では、宗陳は、宗城の孫でもあり甥でもあるということになる。また、宗陳は、宗城の二男伊達宗敦の甥であり従兄妹でもある。
墓は、谷中霊園 乙8号11側。伊達宗城墓域の中、向かって左側。正面「宮中顧問官従二位勲三等侯爵伊達宗陳墓」。伊達納子:「貞芳院殿惠光慈照大姉」。伊達孝子:「清照院殿心月慈孝大姉」。孝子は、伊達宗彰墓に合祀されている。