花香恭次郎(はなかきょうじろう) 安政3年7月9日〜明治23年8月7日(1856-1890)
明治初期のジャーナリスト・社会運動家。香取出身。父、旗本戸田伊豆守氏栄(五男)。別名、戸田千太郎・戸田鉄丸。「福島新聞」創刊者の一人。明治15年(1882)政府から自由党撲滅の使命を課せられた福島県令三島通庸に対し、農民二千名と支援者が決起した福島事件で石川島監獄に収監され、その後、明治17年(1884)西南戦争の国事犯を収容するために作られた施設である宮城集治監に移された。明治22年(1889)の憲法発布の大赦により出獄。
墓は、谷中霊園甲9号8側。同様に福島事件で投獄された河野広中の甥で、後に加波山事件にかかわる河野広躰(こうのひろみ)が同じ福島事件を起こした田母野英顕墓と並べて建立。