鳩山博房(はとやまひろふさ)/鳩山重右衛門博房 ?〜明治10年4月26日(?-1877)
鳩山和夫の父。父、小川某。養父、鳩山嘉平治。美作国(岡山県)勝山藩士。美作においては剣道を指南し、江戸藩邸では留守居役。嗣子として3男鳩山十太郎を美作に残し、長男鳩山又蔵を裕福な商家に養子に出す。二男小川盛重を、博房の実家の小川家の養子とする。四男鳩山和夫を妻の実家の三浦家の養子とする。そのご、長男が早世、三男は15歳で病死となる。そのため、四男和夫が鳩山家を継ぐこととなった。明治10年(1877)強盗に襲われ死亡する。
鳩山喜久子(はとやまきくこ) 文政7年〜明治41年6月27日(1824-1908)
鳩山和夫の母。父、美作勝山藩士三浦数馬(二女)。17歳で鳩山博房に嫁ぎ、5男1女を産む。85歳。
※ 勝山藩の藩主は、三浦氏であり、下屋敷は、谷中2丁目(旧真島町)にあった。勝山藩は、明治2年(1869)に真島藩と改称、明治4年(1871)に廃藩置県のため真島県となった。現在は、大名時計博物館がある。横の坂は、三浦坂である。。
墓は、谷中霊園 乙8号4側。正面「鳩山家」。墓誌では、”博”はサンズイの”溥”。