樋口逸斎(ひぐちいっさい)    文化9年〜明治10年4月21日(1812-1877)・・・文化12年説あり

    書家。名、日偏に麓(さい)・観之。通称、昌介・昌之助。字、子順。号、逸斎。父、樋口秩山。幼時期より父秩山に書を学び、また独学で趙子昂も学び、さらに頼山陽に経史を学ぶ。安井息軒と親交あり。詩文も善くした書家。養子に樋口竹香(樋口敬之:1850-1926)がいる。明治3年(1870)秋発行の「書家番付」の大家・名家欄に萩原秋厳・服部随庵・関雪江・柳田正斎・市河萬庵・山内香溪・樋口逸斎・高斎単山らの名がある。66歳。

墓は、忠綱寺墓地(谷中2-5-43)。墓地入口を入り、すぐ左へ、2本目の通路右角。正面「樋口累世墓」。台石「樋口」。左側「昭和二年十一月/樋口勘蔵建立」。墓誌なし。