日尾邦子(ひおくにこ) 文化12年〜明治18年10月24日(1815-1885)
教育者。日尾荊山の後妻。旧姓、石井。号、花月園。14歳で鶴岡藩主酒井家の侍女として江戸藩邸の奥向に出仕。一方で、和歌や詩を日尾荊山に学んだ。27歳で荊山の後妻となる。夫荊山没後、先妻の娘日尾直子とともに「竹陰女塾]を開く。華族や貴紳の子女が多く、その名を知られた。71歳。歌集:「竹の下風」。著作:「貞婦染行状(そめぎょうじょう)」など。71歳。
墓は、本通寺墓地(谷中4-2-33)。墓地最奥。正面「荊山先生継室墓」。