市河米庵(いちかわべいあん)   安永8年〜安政5年7月18日(1779-1858)

    書家。名、三亥。字、孔陽、通称、小左衛門・号、米庵・亦顛・楽斎・百筆斎・金洞山人・小山林堂・金羽山人。父、市河寛斎。江戸下谷長者町で出生。寛政7年(1795)頃、林述斎および柴野栗山に師事。米元章を学ぶ。特に階隷を得意とする。寛政11(1799)年、書塾小山林堂を開設。その後、富山藩、加賀藩に仕えた。数千人もの門人をもち、巻菱湖(まきりょうこ)・貫名海屋(ぬきなかいおく)とともに幕末三筆と呼ばれた。また、渡辺崋山や頼山陽と親交があった。英語学者市河三喜(さんき)の祖父。門下に朝川同斎・石井潭香・小島成斎など。著書:「墨場必携」、「来家墨談」。

※ 和菓子屋「上野風月堂」の暖簾の字は市川米庵によるもの。

墓は、本行寺(荒川区西日暮里3-1-3:日暮里駅谷中口前)。山門より本堂左通路を行き、JR線路寄り。説明板がある。市川家代々の墓が幾つもある。正面「米庵市河翁墓蔵之碑」。「文広院米庵日儀居士」。「市河寛斎墓銘」は、米庵の書。