巻菱湖(まきりょうこ)    安永6年〜天保14年4月7日(1777-1843)

     江戸末期の儒学者・書家・詩人。名、大任。字、致遠・起巌。通称、右内。号、弘斎・菱湖。越後国(新潟県西蒲原郡)巻町出身。本姓は小山であるが、出生地にちなんで巻姓を称した。19歳の時江戸に出て、亀田鵬斎(1752-1826)に師事し、漢詩や書法を学ぶ。欧陽?・李北海など和漢諸名家の筆跡を研究し、やがて詩人・流麗な菱湖流書家として大成し、各種の書道手本を世に残す。貫名海屋(ぬきなかいおく)、市河米庵とともに幕末の三筆とされた。弟子には萩原秋巌(1803-1877)・生方鼎斎・中沢雪城・大竹蒋塘(1801-1858)の菱門の四天王などのすぐれた弟子がたくさんいた。67歳。著書:「書法類釈」、「墨池余滴」、「書人録」、「十体源流」、「書流質疑」。

墓は、天王寺墓地。さくら通りから標識のある通路を西へ入り、突き当たりを左に(芳野金陵墓の前を通って)30mほど。正面「巻菱湖先生之墓」。