今村了庵(いまむらりょうあん)/今村亮(りょう) 文化11年〜明治23年1月13日(1814-1890)
近代漢方医。名、亮。号、了庵。父、伊勢崎藩藩医今村長順/今村長蔵(三男)。勤王家山縣大貮の後裔。群馬伊勢崎出身。江戸に出て佐藤一斎に漢学、多紀安淑に漢方、大阪で華岡青洲に外科学を学ぶ。父長順の伊勢崎藩医を継ぐ。その後幕府医学官講師となり、明治2年(1869)医学館講師。明治12年(1879)には大正天皇の皇太子時代の侍医。明治15年(1882)東京大学総理加藤弘之は今村亮(了菴)を大學講師 に抜擢。明治16年(1883)東京大學醫史科にて、三宅秀の「西洋醫學史」、本人の「和漢醫道の沿革」を講義。俳諧でも活躍し、俳名を「岨雲」と称し、「清江舎」と「老松館」という2つの俳句結社を作った。77歳。著書:「三病考」、「医事啓源」、「脚気鉤要」、「洋方医伝」、「日本医道沿革考」など。
墓は、甲6号15側。正面「了庵先生墓」。