今村繁三(いまむらしげぞう)    明治10年〜昭和31年4月19日(1877-1956)

    今村銀行頭取・実業家。父、今村清之助(二男)。横浜出身。明治20年(1887)慶応義塾幼稚舎入学。東京高等師範学校付属中学校・高等学校卒業。明治35年(1902)家督を相続。明治36年(1903)英国留学。ケンブリッジ大学リーススクールおよび同トリニッチカレッジ卒業。明治41年(1908)バチエラー・オブ・アーツの学位を受ける。帰国後実業界に入る。今村銀行頭取・汽車製造・熱帯産業・日東拓殖農林各取締役。第一生命保険・東洋織布等の監査役。中村春二・岩崎小弥太らと成蹊学園創立に尽力。大正8年(1919)成蹊学園理事。大正期前後に画家や小説家を援助。芝高輪に豪邸を構え住んでいたが、昭和初期の金融恐慌で今村銀行などの経営が悪化し、豪邸を売り、吉祥寺に移る。さらに戦争でダメージを受け下落合に移る。79歳。夫人は、新田忠純の長女俊子。長男、精一。正六位勲五等。

墓は、谷中霊園 乙10号左8側。正面「今村繁三/偶 俊子 墓」。「淳黙院殿繁誉不二正覚居士」。