新田忠純(にったただずみ) 安政3年10月〜昭和6年1月21日(1856-1931)
官僚・貴族院議員・男爵。旧上州新田藩主。父、新田俊純(二男)。旧名、岩松誠丸。群馬出身。源義家の末裔。明治5年(1872)欧米を視察し海外情勢に通じた。明治15年(1882)外務省御用掛。明治27年(1894)父俊純の死去に伴い家督を相続し、男爵も襲爵。明治30年(1897)貴族院議員。正三位勲三等。兄弟に侯爵井上馨夫人の武子など。夫人は、毛利元忠の5女磯子。子に男爵新田義美(よしてる:新田神社宮司)・最後の宮内大臣で子爵の松平慶民(よしたみ)夫人の幸子・今村清之助の子今村繁三の夫人の俊子など。「隆徳院殿仁岳寿昌大居士」。
新田義美(にったよしてる/よしとみ) 明治32年〜昭和44年11月20日(1899-1969)
新田神社宮司・男爵。父、新田忠純。大正15年(1926)明治大学経済学部卒業。第一生命保険相互会社に入社。昭和6年(1931)襲封。昭和41年(1966)所蔵している古文書・絵画など約9,000点を群馬大学に寄贈し、現在新田文庫と呼ばれている。夫人は、高浜虚子の娘宵子。子は女のみで、恭子・汪子(山田栄作妻)・公子(宇佐美承妻)・容子(国井文扶妻)・矩子(小谷野晃一妻)。後継は、汪子の娘(孫)陽子。
墓は、天王寺墓地。さくら通りから千人塚前通路を入り、千人塚手前2本目を右に行き突き当り。正面「新田家之墓」。