井上四明(いのうえしめい)    享保15年〜文政2年7月2日(1730-1819)

    江戸時代の儒学者。備前岡山藩儒官。本姓、戸口潜。字、仲龍。通称、仲。号、四明。新潟出身。井上蘭台に師事、後養子となる。講説を職業とし文章に長ける。蘭台を継いで備前岡山藩儒官となる。著:「論語鈔解」、「孝経抄解」、「経済十三論」など。子弟関係は、井上蘭台(1705-1761)→井上四明佐藤一斎(1772-1859)→[佐久間象山(1811-1864)、山田方谷(1805-1877)、渡辺崋山(1793-1841)]→吉田松陰(1830-1859)→高杉晋作(1839-1867)、桂小五郎/木戸孝允(1833-1877)、伊藤博文(1841-1909)、久坂玄瑞(1840-1864)]など。後妻に文学者の平山清光(ひらやませいこう:1742-1819)、子に井上呆斎がいる。孫に井上毅斎(いのうえきさい:呆斎の次男)

井上呆斎(いのうえほうさい)     ?〜文政11年(?-1828)

     儒学者。名、観。字、賓玉。通称、寛太。号、呆斎。井上四明の嗣子。岡山藩の儒官。井上四明に学ぶ。程朱学派。

井上毅斎(いのうえきさい)     寛政3年〜弘化2年9月4日(1791-1845)

      儒学者。名、天覚。字、先民。通称、直記。号、毅斎。父、井上呆斎(二男)。井上四明の孫。岡山藩の儒官。井上呆斎に学ぶ。程朱学派。藩主池田斉敏の世子時代から持読として仕える。55歳。落合村泰雲寺にも墓がある。

墓は、谷中霊園甲10号2側。井上蘭台墓の右隣り。正面「四明先生井府君之墓」。井上蘭台墓の左隣りには、正面「清光孺人平山氏之墓」があり、左面には「井上家累世之墓」とも銘があって、平山清光・井上呆斎井上毅斎などが合祀されている。左面に細かく、「保斎先生孺人、毅斎先生孺人、水斎先生、速乗井氏、克斎先生、保山先生、芳光井氏、王露井氏孺人、稗田先生第五女らん」とある。