石本惠吉(いしもとけいきち)     明治22年?〜昭和26年2月6日(1889?-1951)

    男爵・加藤シヅエの先夫。父、石本新六(長男)。東京出身。明治45年(1912)父の死去に伴い襲封。はじめ三井鉱山に入社、三池炭坑勤務。のち北支那・シベリアの鉱業視察。のち欧米視察。大正10年(1921)欧米諸国の書籍取り次ぎ業「大同洋行」を興す。大正13年(1924)我が国の人口問題解決策として北朝鮮・満州地方の資源開発を企画。また、労働問題の研究も行う。社会問題研究家の広田シヅエ(のちの加藤シヅエ)と結婚するも、多額の債務を残し家を捨て中国に逃げたため、昭和19年(1944)裁判により離婚される。62歳。著書:「日本工業政策論」。

墓は、天王寺墓地。石本新六墓傍。正面「石本家之墓」。