石本 綱(いしもとつな)     天保14年11月4日〜明治20年9月18日(1843-1887)

    陸軍歩兵中佐。陸軍大臣石本新六の実兄。名、石本為綱。幼名、従四郎。父、姫路藩士石本為延(4男)。母、福田氏。江戸の旧姫路藩邸で生まれる。和漢書史に詳しく、山鹿流長槍の名人。洋式兵法を学び、維新時の陸軍大隊長兼教師。権少参事。明治5年(1872)陸軍大尉。明治8年(1875)歩兵第8連隊第2隊長。明治10年(1877)西南の役に従軍。歩兵第9連隊大隊長。明治11年(1878)総務局報告課長。明治17年(1884)東京鎮台軍法会議判士長。明治18年(1885)軽重局判士長、次長。明治19年(1886)東京鎮台後備軍司令官。明治20年(1887)軍法会議判士長。小笠原島で病死。陸軍歩兵中佐。従五位勲三等旭日大綬章。45歳。甥に男爵石本恵吉・満鉄理事石本憲治・陸軍中将石本寅三・東大教授石本巳四雄・陸軍少将石本五雄がいる。

墓は、天王寺墓地。石本新六墓の隣り。正面「陸軍歩兵中佐従五位勲三等石本綱之墓」。略歴あり。