加太邦憲(かぶとくにのり)    嘉永2年〜昭和4年12月4日(1849-1929)

    法律家。司法官。父、桑名藩士加太孝喜(3男)。静岡桑名外堀出身。藩校立教館で学ぶ。慶応元年立教館講師。鳥羽伏見の戦いで援軍として赴くが奈良まできて敗戦を知り桑名に戻って謹慎した。謹慎後に英語を学ぶが藩校では教科として教えられず辞職して明治3年2月東京に出て大学南校に入りフランス語を学ぶ。明治5年(1872)司法省明法寮学校に入りフランス法学を学ぶ。同期生に宮城浩蔵岸本辰雄らがいる。明治9年(1876)に卒業し法学士となる。その後ボアソナード起草の民法草案等の訳出に努め、日本の民法制定の基礎を作った。明治19年(1886-1890)ヨーロッパに留学。帰国後、明治23年(1890)大津地方裁判所長兼第三高等中学校(京都大学の前身)の法学部講師、翌24年2月京都地方裁判所長、明治29年(1896)東京地方裁判所長を歴任。さらに明治31年(1898)には大阪控訴院(高等裁判所)長となった。明治38年(1905)健康を理由に引退。明治43年(1910)貴族院議員。明治45年(1912)維新史資料編纂委員。従三位勲二等。81歳。

墓は、玉林寺墓地。階段上を右に行き20mほど、左側。正面「加太家墓」。