垣内霞峰(かきうちかほう) 文化10年閏11月24日〜明治8年2月17日(1813-1875)
漢詩人・書画家。名、保嘉。字、宜民。通称、太七郎。肥後守赤星有隆を祖とする。父垣内保之は原馬上氏の養子となりその二女を娶る。紀伊在田郡湯浅村(和歌山)出身。書画を好み、18歳で父を亡くす。親戚の垣内谿琴(菊池海荘)に漢詩を学ぶ。天保14年(1843)31歳のとき江戸に出るが、貧困極まる。弟子に池永柳譚がいる。
※ 赤星有隆: 鎌倉時代のころ(?-1333)の武将で、赤星氏の祖。蒙古襲来時に功をたてる。
墓は、天王寺墓地。塩谷宕陰墓の隣り。正面「霞峰垣内君之墓」。来歴あり。