神波即山(かんなみそくざん)    天保3年6月6日〜明治24年1月2日(1832-1891)

    漢詩人・書道家。名、桓。字、猛卿。通称、致庵。号、即山・導・菊軒。名古屋出身。幼く甚目寺一乗院の僧侶となり円桓と称す。儒学を沢田眉山に学ぶ。詩や書が好きで森春濤に師事し漢詩を学ぶ。維新後は、僧をやめ行蔵と称す。明治4年(1871)名古屋藩に勤めたがすぐに辞め東京で司法省に勤務し、内閣一等属まで出世、三條実美岩倉具視の知遇を受け、詩および書を以て著名となる。教育勅語謄本は神波即山が書いた。60歳。なお、教育勅語を起草したのは、井上毅である。同門に丹羽賢がいる。60歳。

墓は、天龍院(谷中4)。上段地区。正面「神波即山先生墓」。「生華院心閑即山居士」。