御徒士町狩野家。  狩野長信を祖とする表絵師の家系。

※表絵師:徳川幕府の御用絵師で、狩野家奥絵師の一族や門人が独立して一家をかまえたもので、奥絵師よりは一段低い格式。駿河台狩野家をはじめとし、御徒士町・猿屋町代地・山下・深川水場・麻布一本松・根岸御行松・神田松永町・芝愛宕下・築地小田原・金杉片町・分家・本所緑町・稲荷町・勝田の15狩野家があった。

狩野玉燕季信(かのうぎょくえんすえのぶ)・4代    天和3年〜寛保3年8月21日(1683-1743)

    日本画家。御徒町家4代。名、季信・秀信。号、玉燕。通称、外記。父、2代狩野休伯長信(きゅうはくながのぶ)。3代狩野休碩友信(きゅうせきとものぶ)の弟。兄の後継者で徳川幕府の表絵師として仕えた。「顕樹院殿峰山日照居士」。

狩野玉栄在信(かのうぎょくえいありのぶ)・5代    享保15年〜文化元年6月21日(1730-1804)

    日本画家。御徒町家5代。名、在信。号、玉栄・長墨斎。父、4代狩野玉燕季信(3男)。兄、休伯寿信の養子となり跡を継ぐ。寛政9年(1797)隠居。「三絶院殿通霊日状居士」。

狩野休伯満信(かのうきゅうはくみつのぶ)・6代    明和4年〜天保10年2月21日(1767-1839)

    日本画家。御徒町家6代。父、5代狩野玉栄在信。「白玄院道安日休居士」。

狩野玉円永信(かのうぎょくえんながのぶ)・7代    文化13年〜明治13年11月30日(1816-1880)

    日本画家。御徒町家7代。父、6代狩野休伯満信。「鷲山院玉円日揮居士」。

※ 初代・2代は、狩野休伯長信/狩野休伯昌信・3代は、狩野休碩友信

墓は、信行寺(谷中1-5-7)。本堂左横通路を行き、墓地通路の左から2番目の通路の左側。