樫村清徳(かしむらきよのり)    弘化4年11月〜明治35年7月6日(1848-1902)

    駿河台山龍堂病院長・東京大学医科大学教授・医学博士。父、米沢藩士樫村清秀(長男)。旧米沢藩士。藩校「興譲館」に入学し、漢学を修める。元治元年(1864)17歳で江戸の医学所に入り、渡辺洪基と足立寛に師事し、英学を修める。22歳のとき石黒忠悳の斡旋で明治2年(1869)大学東校に入る。大学中得業生兼少舎長・文部権中助教監事事務少助教。のち文部省に出仕。宮内省御用掛(明治・大正天皇の侍医)、東京医学校教授。明治12年(1879)大学医院内科部長。明治14年(1881)東京大学医科大学教授。明治17年(1884)文部省より在官のままドイツ留学。明治18年(1885)帰国。明治19年(1886)神田駿河台に「山龍堂」病院を開設。日本薬局方調査委員。明治24年(1891)医学博士。著書:「新纂薬物学」、「薬物学講本」、「日本薬局方随伴」など。 ※ 明治29年(1896)に樋口一葉は、結核のために倒れ病状が急速に悪化、同年8月初旬、神田小川町の山龍堂病院の院長樫村清徳によって絶望と診断された、という逸話がある。

墓は、甲9号10側。墓の灯篭は職方出入中の寄贈。正面「樫村清徳之墓」。