加藤桜老(かとうおうろう)/加藤有隣 文化8年〜明治17年12月12日(1811-1884)
笠間藩儒家・加茂別雷神社(京都市北区上加茂本山)宮司。名は煕(ひろまる)。通称、有隣。幼名、山田貢・伯敬・日出吉・日出太郎。字、白敬。号、桜老・榊陰・穆軒・桜花山人。父、佐藤政祥。笠間藩士加藤惣蔵の養子。茨城県水戸出身。笠間藩の儒者森田桜園の門下生となり、漢学を学ぶ。剣術・槍術も修業する。16歳で藩校「時習館」の副都講。中小姓として牧野真幹に仕える。天保元年(1830)水戸の会沢正志斎の門に入る。天保9年(1838)江戸に出て、昌平黌で佐藤一斎に学ぶ。傍ら兵法・砲術を修める。藤田東湖に師事。足利に遊学。常陸笠間藩儒、嘉永4年(1851)藩命により致仕。のち長州侯の命により長州(萩)藩明倫館教授。慶応3年(1867)山口郊外金古曾に「永帰塾」を開く。明治元年(1868)京都に帰り、軍務御用掛。漢学所御用掛。京都大学準博士。東京に移り、教部省9等出仕。同年、安房神社少宮司に任じられ大講義に補せられる。明治7年(1874)湊川神社権宮司。京都上加茂別雷神社宮司。明治9年(1876)教部省中録。明治12年(1879)ころ東京礫川上富坂に「大同館」を創建。引き続き「大同新報」を発刊。岡倉天心は加藤桜老に琴を習っている。74歳。著書:「三種神宝考」、「桜川志略」、「管子要語」、「言志稿」など多数。
墓は、谷中霊園乙6号3側。正面「桜老加藤煕之墓」。墓域に50年忌顕彰碑が建つ。