河鰭斉(かわばたひとし)/河蛯斎 天保13年〜大正5年9月29日(1842-1916)
鶴田藩権大参事(鶴田藩は浜田藩の飛び地)。父、河鰭景岡。明治元年(1868)12月王政復古に伴い明治2年(1869)2月27日津山藩主松平慶倫、鶴田藩主松平武聰、古川藩主、挙母藩らが封土を奉還。同年6月各藩主は藩知事となる。10月鶴田藩主は尾関秀、伊藤祐命を大参事に生田精、野島恒、河鰭斉を権大参事にし、以下小参事、大属等を新任した。従四位勲四等。75歳。妻美知子(1819-1899)は、浜田藩家老松倉正供の娘で、慶応元年(1865)に嫁す。
墓は、甲14号右1側。通路よりJR側へ2基目。碑は、父親のものと思われる。正面「従四位勲四等河鰭斎之墓」。「信淨院慈斉全勇居士」。美知子は、「信敬院智光元道大姉」。