思想家・宗教家・社会教育家・大神山神社権宮司。号、如々・一如・山陰道士等。父、神職の川合正敬。鳥取県琴浦町出身。幼少から父に神道を学び、明治6年(1873)に大神山神社の権宮司となる。30歳のとき大神山神社と大山寺との神仏分離問題で東京に出た時に、神仏への信仰や道徳心の荒廃を目の当たりにし、神道のみならず儒教・仏教・キリスト教や西洋の学問を広く学ぶ必要を感じ遊学を決意。明治14年(1881)神職を辞して伏見の宇宙健斉、大阪の藤沢南岳らに儒学を師事。鳥居得庵に仏道を師事。明治16年(1883)得庵鳥尾小太郎に師事。鎌倉の今北洪川、京都の由利滴水に師事。禅は鳥尾小弥太に師事。その後、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の援助のもとに、明治21年(1889)に鳥尾小弥太とともに「日本国教大道社」を設立、山岡鉄舟を社長に推し、鉄舟没後は自ら社長となる。月刊「大道叢誌」を発行し、国家主義者の中心勢力となった。著:「大和魂」、「建国の大本」、「国の大経」など。