高橋泥舟(たかはしでいしゅう)/高橋謙三郎 天保6年〜明治36年2月13日(1835-1903)
幕臣槍術の名人。名、政晃。通称、謙三郎、精一。号、忍歳、泥舟。父、旗本山岡市郎右衛門(次男)。山岡静山(1829-1856)の弟。江戸出身。槍は生家が自得院流の名家であり兄静山について修行した。兄静山が早世のため門人小野鉄太郎(のちの山岡鉄舟)と妹英子を結婚(1857頃)させ、自分は母方を継いで高橋包承の養子となる。生家山岡家は槍も名家で泥舟も名人となった。講武所師範役・新徴組の長となる。将軍徳川家茂の信任を得る。文久3年(1863)一橋慶喜に随行し新選組を率いて上洛したこともあったが、時勢を察し明治4年(1871)鳥羽伏見の戦いの後は、将軍徳川慶喜に恭順を説き、終始慶喜を警護した。勝海舟が高橋泥舟を西郷隆盛への使者としようとしたが慶喜の傍を離れられず、義弟の山岡鉄舟を差し向け鉄舟はその任をはたした。廃藩置県後は政治にかかわらず東京で隠居し書画の鑑定などして過ごした。69歳。勝海舟、山岡鉄舟と並んで「幕末三舟」と呼ばれた。
NHKの大河ドラマ「新選組」の中で一人だけ槍を持っていた人物といえば分かりやすいかもしれない。
墓は、大雄寺墓地(谷中6-1-26)。山門を真直ぐに入り、大椎の樹の下。正面「高橋泥舟之墓」。「宝朱院殿栄照道義」。
狸にもあらぬこの身は泥の舟 漕ぎ出ださぬがカチカチの山
野に山によしや饑ゆとも芦田鶴の群れいる鶏の中にやは入らむ
本堂正面の扁額「長昌山」を書いたのは泥舟。庫裏に「神韻」の一幅がある。