北村季林(きたむらきりん)     文政12年9月19日〜明治28年11月24日(1829-1895)

    国学者・歌人。幼名、権三郎のち秀次。通稱、主水、号、礫水。父、弥門季利(長男)。北村季吟から6世の孫。東京小石川出身。幕府出仕御小納戸役。国漢文に造詣が深く将軍徳川家茂の侍講。当時の最高学府のお茶ノ水学問所教授方・同取締役。明治10年(1877)私立向蘭学校設立し、育英に努めた。67歳。子に北村季晴がいる。妻、鉞(明治40年10月12日歿)。

墓は、瑞輪寺墓地(谷中4-2-5)。日本美術院裏のメイン通路を行き、加藤シズエ墓のある通路を左に見て過ぎ、すぐ右側の通路を入り5基目左側。北村季晴墓も同域にある。