北大路公久(きたおおじきんひさ)    慶応元年〜明治28年8月11日(1865-1895)

    三条末流阿野分家の男爵(1884.7.8)。 祖父、興福寺東北院住職の北大路季敏(阿野公誠の次男)。父、北大路実慎(滋野井実在の子。従兄季敏の養子)。上賀茂神社の社家の北大路清操は弟で、その子には北大路魯山人がいる。北大路家は、季敏を祖とする。

北大路実信(きたおおじさねのぶ)     慶応3年〜昭和10年9月22日(1867-1935)

貴族院議員。幼名、園池楢麿。父、園池公静(三男)。明治28年(1895)北大路公久の死去により後を継ぎ、実信と改名する。税関事務官を務め、明治37年(1904)貴族院議員。北大路清操の次男である北大路魯山人とは従兄。



墓は、谷中霊園 乙13号左2側。ひょうたん横丁道路側。墓誌の記載は次のとおり。

   北大路公久 明治28年8月11日
      ミツ子  明治35年10月3日
      信平  明治40年1月6日
      信雄  大正10年5月13日
      実秀  昭和3年1月13日
   正三位勲二等 実信 昭和10年9月22日