公家閑院流の末裔・子爵・奈良県知事。名、公静。父、正三位園池実達(二男)。兄宮中顧問官園池公宣の養子。明治17年7月8日子爵。閑院流(かんいんりゅう)は、藤原師輔の11男である藤原公季(ふじわらきんすえ:956-1029)を祖とする。閑院流2代目中納言藤原公成の娘、藤原茂子(ふじわらのしげこ:1030?-1062)が藤原能信の養女として第71代後三条天皇の皇太子妃に入内し子が第72代白河天皇となったことから権勢をもつようになった。三条家・西園寺家・徳大寺家などの25家の名門公家を輩出している。慶応2年(1866)中御門経之ら22卿が廷臣が朝政の改革・征長軍の解兵などを建言した際に参加、差控を命ぜられる。王政復古の後、太政官書記官、のち奈良県知事。侍従。滋宮祗候・明宮祗候。子に子爵園池実康(そのいけさねやす:1857.12.4-1928.4.23)、二男に園池儀麿、三男に北大路実信、四男に園池公顕、五男に岩佐男爵家の宮内事務次官岩佐公直、女子に室町公大(きんもと)伯爵の夫人、孫(実康の子)に小説家の園池公致(そのいけきんゆき:1886-1974)と演出家・評論家の園池公功(そのいけいんなる)がいる。
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