園池実康(そのいけさねやす)    安政4年12月4日〜昭和3年4月23日(1857-1928)

    宮中顧問官・子爵。父、、園池公静(きんしず)(長男)。正三位勲三等。京都出身。明治25年(1892)宮内省出仕、掌典をへて掌典次長。明治34年に辞し、宮内省顧問官。大正4年(1915)襲封。72歳。夫人香子は、伯爵正親町実正の娘。長男に小説家で子爵の園池 公致(そのいけ きんゆき:1886.4.29-1974.1.3)、二男に演出家・評論家・女子美術大学理事の園池公功(きんなる)、純子、綾子、光子がいる。

園池 公致(そのいけ きんゆき)     明治19年4月29日〜昭和49年1月3日(1886-1974)

     小説家・子爵。父、子爵園池実康(長男)。東京出身。母、伯爵正親町実正の妹。学習院中退。明治29年(1896-1901)侍従として明治天皇に侍した。里見庶らと回覧雑誌「麦」を刊行。「白樺」創刊に参加。大正8年(1919)小説「一人角力」広津和郎に認められる。のち、安倍能成・和辻哲郎・武者小路実篤・竹山道雄ら共に文芸誌「心」の同人となる。夫人は、竹尾茂子(武者小路実篤の妻房子の妹)。正親町公和(おおぎまちきんかず゙)の従兄弟。長男の園池実覧(さねみ)は応用物理学者・中央大学名誉教授。孫の園池公毅(きんたけ)は植物生理学者・東京大学准教授。

園池 公功(そのいけ きんなる)     明治29年5月20日〜昭和47年2月15日(1896-1972)

     演出家・評論家。父、子爵園池実康(次男)。東京出身。京都帝国大学卒業。大正11年(1922)帝国劇場入社、文芸部で演出を担当。のち松竹や東宝に勤務。昭和7年(1932)革命後のソヴィエトを視察。戦後は女子美術大学の理事となる。75歳。著書:「ソヴエト演劇の印象」、「公共劇小脚本集 誰にも出来る芝居の本」、「素人演劇の方向」、「工場演劇脚本集」。共訳: ルネ・フューロップ=ミレーの「ソヴエト演劇史」。

墓は、谷中霊園 乙3号15側。正面「園池家之墓」。