小出英延(こいでふさのぶ) 明治11年〜昭和16年2月5日(1878-1941)
子爵・掌典。父、丹波園部藩主小出英尚(長男)。東京出身。明治17年(1884)子爵を授けられる。正三位勲六等。63歳。妻の宝子(昭和42年4月23日歿)は、肥後宇土藩11代藩主(最後)細川行真(ほそかわゆきざね:1842.9.2-1902.4.9)の娘。
※ 掌典:祭祀(さいし)をつかさどる宮内省式部職の職員。
小出英昌(こいでふさまさ) 大正4年〜昭和19年3月16日(1915-1944)
子爵。父、小出英延(三男)。東京出身。昭和16年(1941)家督を継ぎ襲爵。正五位。三輪田高等女学校(三輪田学園)教諭(生物)。29歳。妻の百合子は、子爵近衛秀麿(18980-1973)の娘。
小出英忠(こいでふさただ) ?〜平成12年9月17日(?-2000)
旧制園部中学校教諭。のち、宮内庁掌典長。昭和14年(1939)学習院旧制高等科卒。皇太子徳仁(なるひと)親王殿下と小和田雅子様の御結婚の儀の折り、および秋篠宮様と紀子様の御結婚の儀の折り、回廊を渡り賢所(かしこどころ)の外陣(げじん)に入られる先導を努め、また祝詞を奏上。
墓は、天王寺墓地。朝倉文夫墓裏通路突き当たり。小出英尚と同域内。正面「小出家之墓」。